西陣の京町家
生谷家住宅主屋
  • 所  在 : 京都市上京区
  • 構造規模 : 木造2階建(伝統工法)
  • 延床面積 : 263.29 ㎡
  • 敷地面積 : 462.25 ㎡
  • 建築年代 : 1877年(明治10年)頃と推測
  • 改修竣工 : 2013年
  • ・国登録有形文化財
  • ・京都市景観重要建造物
  • ・京都市歴史的風致形成建造物
  • 『建築と社会』誌 2014年04月号
現代の「会所」に蘇生
生谷家は、西陣の一画にあり寛政四年(1792)に記された由緒書きによると、室町時代の御家人であったが、時の所司代の命で賀茂川築堤を成し遂げ、「万(よろず)や」の屋号で青物問屋を営んでいた。天明の大火(1788)で罹災。現主屋は明治10年頃建替と推測されてきたが、幕末の嘉永の大火(1854)及び元治の大火(1864)の被災域外にあった為、江戸末の可能性もある。尾形光琳屋敷も在ったというこの辺り一帯を広く所有されていた。

主屋は、歴史的に新町通と共に京都の南北主道であった室町通に面し、間口は13.5mと大きく、奥行18mに及ぶ。築後約140年の間に種々の増改築がおこなわれた形跡が今回の工事で見つかった。北東側の平屋部は主屋に続き増築されたものだが、北側階段の取り付け位置は通常の京町家に比し異例であり、仏間の位置についても同様であろう。又1,2階共に柱材に北山杉丸太を多用し北の妻壁側は入れ子構造の如く構造上の通柱に並べて丸太の管柱を建て床の間、床脇の背面を形成している。丸太の多用や一部低い内法に、ご先祖の茶の湯、数寄屋への愛着も見られる。又、主屋と庭園との関係も京町家では異例で、北妻側にも東西に庭が広がりそれが奥庭(西側)とL字に繋がる。その為、1,2階共に次の間の大きな開口部と北庭が直接繋がると共に後程増築された書斎や納戸縁側とも一体的な開放性をもつ。

1階座敷と縁側や台所間の壁と開口の在り方も変遷を重ねてきた。今回、耐力壁のバランス良い配置の為、杉丸太や桧角柱の管柱と荒壁パネルを随所に生かし、東側の厨子(ずし)2階部の軸組みの硬さとのバランスも図った。その為、2階西側は根太を用いない根太レス、厚荒床、小梁増強で対処し、厨子2階は使い勝手も考慮して接合部が一部破損していた登り梁を新材で今までより高い位置で緊結した。

今回の平成の改修工事の要は、水平・垂直両構面の補強とアルミサッシ撤去、土壁の塗り替え、通庭の階段新設(2方向避難)、1階の縁側廻り新調とその屋根の新調空葺化等々である。又、約40年前増築された北側書斎部の外観整備や設備の配管、配線の整理やエアコンの隠蔽化もその一端である。なお、小埜氏による本格的な作庭(光臨の庭)がある。
(長瀬博一)